HIVの院内感染と対策
広島大学医学部附属病院 輸血部 高田 昇

4.HIV曝露事故後の対策

4-1.曝露直後の処置

  • 曝露事故が起こったら患者の安全を確認したのちに、被災者は傷口を石鹸水でよく洗う。縫合が必要な場合は先に創部を生理的食塩水で洗う。傷口から血液を絞り出す必要があるかどうかわからない。口や眼の粘膜に付着した場合は、清潔な水でよく洗う。

4-2.HIV曝露被災者の経過観察

4-2-1.曝露の程度の評価

  • まず状況の聴取から、曝露の程度とHIV感染の可能性を推測する。曝露経路、曝露した体液量、そして事後処置のタイミングがポイントになる。発端となった患者がHIVに感染している場合は、病期と抗HIV薬の投与歴が大切である。感染しているかどうか不明な場合は、その地域・施設のHIV疫学を参考にしながら推測する。

4-2-1-1.発端者がHIV感染者の場合

  • 発端者がHIV感染者の場合、本人に曝露事故が起こったことを伝える必要はない。無用な罪悪感を負わせるだけであり、本人にとって何のメリットも生じないからである。

4-2-1-2.発端者のHIV感染が不明の場合

  • 発端者のHIV感染が不明の場合、なおかつ疫学的にHIV感染の可能性が否定できない場合、事情を説明してHIV検査用の採血を依頼する。検査費用は医療機関が負担する。結果は本人に伝え、結果によっては適切な医療が受けられること、検査を拒否しても不利にならないこと、検査を受けたこと自体や検査結果の秘密厳守を約束する。これは通常のHIV検査と同じでinformed consentの原則を守る。決して無断検査はしてはならない。倫理に反し、厚生省の通知に添わないばかりか、傷害罪にあたるという見解もある。

4-3.曝露後のカウンセリング

  • HIV曝露事故の被災者は強いストレス状態におかれるので、カウンセリングは非常に大切である。心理的反応は個人によって異なるが、拒絶、怒り、抑鬱、不安などがある。情報提供を行いHIVの感染率が低いことを示しても解消できないことがある。管理にあたる担当者は心理専門家に紹介できるようにしておくべきである。
  • 感染していないことが明らかになるまで、安全な性生活について指導を行う。家族や性的なパートナーに対してもカウンセリングが必要なことがある。パートナーが受けとめてくれることは、本人にとって大きな支えになる。被災者の上司もショックを受けるので、カウンセリングが必要になる場合がある。
  • カウンセリングの要点は次の通りである。時間的および空間的余裕を確保して、まず情報提供を行う。HIVの感染経路、感染の確率、職員としての権利、勧められる検査やケアの利点と欠点、秘密防護の約束である。一方、本人からの質問を受け、事情や希望を可能な限り受け入れる。本人を支える人間的な関係の確保が最も大切である。

4-4.被災者のHIV検査

4-4-1.被災前のHIV検査

  • すべての医療者にあらかじめHIV検査を行っておくべきかどうか難しい。検査を実施する前に検査の目的とデータの管理法などの情報を伝え、了解を得た上で行わなければならない。抗体はすぐには産生されないので、被災事故直後に血清を採取することで間に合う。1993年10月に労働省は職業上のHIV感染に対しては労働災害補償制度が適用されると発表した。被災時のHIV検査の結果を必須とはしていない。被災直後のHIV検査結果が得られない感染者を救うためと考えられる。

4-4-2.曝露後のHIV検査

  • 事故後のHIV検査の日程は、1ヶ月、2ヶ月、6ヶ月、12ヶ月後が望ましい。検査項目はスクリーニング用の抗体検査でよい。HIV急性感染症が疑われる例を除いて、HIV(p24)抗原やHIV遺伝子の検査は必須とは考えられない。

4-4-3.曝露後のHIV急性感染症

  • 曝露事故によるHIV感染者の報告では、2ヶ月までに急性感染症状が認められたものが多い。すなわち発熱、リンパ節腫脹、倦怠感、発疹などの伝染性単核球症様の症状である。このような場合は鑑別の検査、検査間隔を2〜4週に増やし、HIV遺伝子や抗原検査を実施すべきであろう。

4-5.抗HIV剤の予防投与

4-5-1.HIV感染の成立

  • 局部に侵入したHIVはいきなり血中に流入せず、まず樹状細胞などの貪食細胞に感染する(時間単位)。いくつかのHIVが細胞内に取り込まれ、逆転写酵素によってDNAに変換され、核内に移り細胞遺伝子に組み込まれる。この遺伝情報によってHIVが複製放出され、局所のリンパ節に運ばれる(日単位)。リンパ節内でHIVの爆発的複製が起こり、ウイルス血症を起こして全身に散布される(週単位)。

4-5-2.抗HIV剤の効果

  • 逆転写酵素阻害剤はHIVの組み込みを阻止することにより未感染細胞への感染を防ぐ。プロテアーゼ阻害剤は感染性HIV粒子の放出を防ぐ。従って事故後できるだけ早期(2時間以内と言われる)の投与が望ましく、引き続くマクロファージやヘルパーTリンパ球の感染を抑えるためには、4週間程度の投与が必要と言われている。
  • 欧米の調査によると、HIV曝露後にジドブジン(ZDVまたはAZT:商品名レトロビルカプセル)単剤を投与することにより、感染率をおよそ5分の1に減らせると推定されている。感染率が低すぎて対照をおいた前向きの比較試験は非現実的である。1996年末までジドブジンを投与したのにHIV感染が成立した例が12件報告されている。このうち数件では、発端となった患者はジドブジンを長期間投与されており、ジドブジンに耐性であった可能性がある。耐性が予想されたらジダノシン(ddI)、ラミブジン(3TC)、スタブジン(d4T)、ザルシタビン(ddC)などで代用することも考慮される。
  • 1996年CDCの暫定的な推奨では、曝露のレベルを3段階に分けて評価している。高度な危険性とは高濃度かつ大量の曝露、中等度の危険性とは高濃度または大量の曝露、低い危険性とは低濃度かつ少量の曝露である。高度な危険性の場合には、AZT+3TC+インジナビル(プロテアーゼ阻害剤)の投与を、中等度の危険性の場合にはAZT+3TCを勧め、軽度の危険性の場合には、薬剤の副作用を勘案し投与を勧めていない。希望によって薬剤のランクを上げる。実施に当たっては被災者に対し、効果も毒性も確立されていないことを十分に伝え、科学的な評価を受けることを勧める。
  • 実際上では薬剤吸収から局所到達までの時間のズレがある。現場で危険度を評価した後に、直ちに最初にAZT+3TCの服用を先行させ、その後に専門家と連絡をとり、事務手続きを完了し、インジナビルの追加投与を決定するのがよい。
 
 
 
    第5章へ続く