HIVの院内感染と対策
広島大学医学部附属病院 輸血部 高田 昇

6.医療者から患者へのHIV感染

6-1.医療者から患者へのHIV感染の経路

  • HIVに感染している医療者から患者には、どのような経路でHIVが感染するだろうか。シナリオは2つしか考えられない。i)侵襲的な処置中に医療者が負傷し、その血液が患者の創傷に直接接触する場合と、ii)医療者が自分の血液が付着した医療器具で患者を傷つけてしまう場合である。

6-2.“患者への感染事件”のインパクト

6-2-1.事件の概要

  • 1990年にCDCはHIV感染の歯科医の治療を受けた6名の患者がHIVに感染したと発表した。発端となった患者がHIV感染のリスクが認められなかったため調査したところ、HIVに感染している同じ歯科医の治療歴がわかった。分離されたHIVの遺伝子配列の比較の結果、極めて類似性が高く、その地域で得られた他のストレインとは明らかに異なっていた。歯科医がエイズで死亡したため、これ以上の調査は不可能であり、実際にどのように患者が感染したのかは不明のままである。

6-2-2.HIV感染医療者の開示

  • 本件は被災患者が連邦議会で証言したため、アメリカ社会に大きなインパクトを与えた。それは「医療者はHIV検査の結果を患者に提示しなければならず、患者は治療を受ける医療者を選ぶ権利がある」というものであった。

6-2-3.患者へのHIV感染の確率

  • HIVに感染した医療者の治療を受けた19,000名以上の患者を調査した結果、医療行為によるHIV感染と認められた症例は発見できなかった。CDCはモデル実験の結果、外科手術で患者がHIVに感染する確率は240万〜2400万件に1件と推計した。日本のHIV感染者数はアメリカのおよそ100分の1であるから、日本ではまず起こらないと考えられる。

6-3.侵襲的な処置における患者の防護

  • CDCは外科手術中に外科医が負傷する頻度を調べた。1,382件の手術中の6.9%で99件の負傷であった。ほとんどはメス・針・ワイヤーなどの鋭利な医療器具や患者の骨片によるものであった。明らかな出血を来した医療者はないが、3分の1では医療者のわずかな血液が患者の組織に接触した可能性があるとみなした。鋭利な医療器具の使用を減らしたり、患者組織の保持を器具を介して行ったり、器具の受け渡しの工夫をするなどにより、これらの曝露事故を4分の1まで減らすことができるが、完全にゼロにすることは無理であるとされた。チームの技量や手術時間なども影響を及ぼすと考えられた。

6-4.HIV感染医療者の処遇

  • 1991年にCDCはHIV感染の医療者についてのガイドラインを発表した。要約すると、i)侵襲的な処置を行う医療者はHIVとHBe抗原の検査を受けるべきであること、ii)検査が陽性であった医療者は侵襲的な処置を行わないこと、あるいは専門委員会により従事できる仕事を指定されるべきこと、iii)陽性の医療者は侵襲的な処置をする前に患者に対しinformed consentを得るというものであった。
  • これに対し、アメリカの医師会や各種団体では百家争鳴になり論議は決着をみていない。改めてuniversal precautionsの重要性についての合意を得た。日本の100倍の感染者を抱えるアメリカでも、医療者の一律HIV検査は、患者の強制的な検査とともに利点は少なく、コストもみあわないという意見が多い。
  • HIVに感染した医療者に退職を迫ることはあってはならない。これは労働省からの指導も行われており、違反した場合は医療機関が“HIV感染者差別”を行ったとして社会的指弾を受けるであろう。
 
 
 
    第7章(最終章)へ続く