HIVの院内感染と対策
広島大学医学部附属病院 輸血部 高田 昇

2.医療者へのHIV感染と管理
2-1.職業上でのHIV感染の危険
2-1-1.HIVを含む体液

  • HIVを多く含む体液としては血液、精液、膣分泌液、母乳、脳脊髄液、胸水、腹水、羊水、滑液などがある。感染を起こすほどの濃度に至らないものとしては、涙液、尿、唾液、耳漏、喀痰・鼻汁などの気道分泌物がある。

2-1-2.HIVの侵入門戸

  • 確率は低いが医療者が職場でHIVを含む体液からHIVに感染する危険性がある。侵入門戸としては新鮮な刺し傷、切り傷、バリアとしての機能が低下した皮膚炎などの局面、口腔や眼球などの粘膜が考えられる。健常な皮膚への付着によりHIVが感染したと確定された事例はない。

2-1-3.感染が成立するウイルス量

  • 血液には白血球(主にリンパ球、単球)内にプロウイルスDNAの形で、血漿中にはウイルス粒子の形で含まれており、培養細胞への50%感染力価(TCID50)は1mlあたり101〜3とされている。定量的な遺伝子増幅法によると、RNAコピー数は102〜6個であるが、このすべてが感染力があるウイルス粒子という訳ではない。なお血漿中のウイルス量は急性感染期のウイルス血症の時に最も多く、これを過ぎると急速に減少し、やがて病期が進むに従って増加する。また抗HIV薬による治療期間が長い患者の血液による曝露の場合には、その薬剤に耐性のHIVである可能性が高い。
  • HIVの感染率は、侵入門戸に接触する体液中のHIVの濃度と侵入する体液量の積算、すなわちHIVの絶対量に依存する。実際の感染例では、太い注射針のように中空で、内部に血液を含んだ鋭利な物体による、筋肉に達するほどの深い刺傷の場合が最も多い。新鮮な切創に血液が付着する場合、大量の脳脊髄液・精液・組織が付着する場合などがある。針先の容積は1〜5μlあたりと考えられる。メスや縫合針による傷は、手袋のゴム膜面や皮膚の表面で血液を拭うので、体内に残される血液量は50〜85%減ると推測されている。

2-2.職業上でのHIV感染の実態
2-2-1.日本での実態

  • 稲垣は医療者の針刺し事故について、厚生省の研究班を通じて279施設の遡行的な調査を行った。これによると、1982年から1993年間に12,945件の針刺し事故と3,015件のその他の曝露事故があり、このうちHIV関連事故は針刺しが88件、その他が32件であった。これらの被災者の中にHIV感染が起こった例はない。

2-2-2.世界での実態

  • 一般には、針刺しによる感染率は0.3%前後とされている。Tokarsらは医療従事者のHIV感染の危険性についての各国の前向き研究の成績をまとめた。それによると曝露事故による感染率は6,170名中10名(0.16%)であった。【表1】はこれにわが国での調査結果を加えた成績で、全体では0.16%、皮膚損傷では0.24%、粘膜接触では0.09%であった。

2-2-3.アメリカ・海外での実態

  • 特殊な例であるが、実験室でHIVの濃縮操作を行っていた研究助手が感染した例が報告されている。アメリカの針刺し事故を中心とした追跡調査の結果、HIVの感染率は0.29%と報告されている。またエイズ流行以来、累計50,000件のHIV曝露事故が起こったと推定されている。一方CDC(Centers of disease control and prevention)は1981年から1996年末までに、職務上でHIVに感染したものは、確実例が52名、疑い例が111名と報告している。

2-2-4.HIV感染事故は起こる

  • 日本でも必ず将来、医療者のHIV感染が起こると考えて準備をする必要がある。それが1年後か、5年後かはわからない。それはその時に日本が抱えている感染者数に依存するであろう。針刺し事故によるHIVの感染率はおよそHBV(B型肝炎ウイルス)の100分の1、HCV(C型肝炎ウイルス)の10分の1である。感染者数はそれぞれ100万人を越えているので、医療者が職業上の曝露で感染し、結果的に死亡に至る確率は、HBVやHCVの方が遥かに高い。
  • 感染への対策は、i)曝露事故を減らす努力、ii)感染が確認されるまでの経過観察法と被災者への援助、iii)感染してしまった医療者の保護と、iv)その感染者からの二次感染の予防策である。

【表1】医療者のHIV感染の危険性

皮膚損傷

粘膜損傷

国名

例数

感染

例数

感染

例数

感染

アメリカ

3041

7

2058

7

949

0

カナダ

296

0

 

 

 

 

ブラジル

143

0

66

0

 

 

イギリス

488

0

76

0

 

 

イタリア

1488

2

1003

1

158

1

スイス

178

0

84

0

 

 

スペイン

178

0

341

1

 

 

日本

118

0

87

0

 

 

その他

192

0

 

 

 

 

合計

6288

10

3715

9

1107

1

感染率

0.16%

0.24%

0.09%

[ Tokars JI et al;1993を改変]

 
 
 
    第3章へ続く